私は広島市南区東雲本町で鍼灸接骨院を開業しております佐々木雅康と申します。
平成3(1991年)年5月13日に開業し、2023年2月現在開業して32年を迎えます。
これまでのHPが2022年3月に変更となり、それまで書いた記事が見られなくなったので、こちらのブログで日々の臨床での気づきを書き残すことにしました。
先ずは私・佐々木雅康がどのような人物なのかについてご紹介いたします。
痛み・悩みの原因を知り、根本から解決したい方 向けの治療院です。
広島市南区の整体 佐々木整骨鍼灸院
【あなたの こころ と からだ に 優しくアプローチします!】
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高校卒業後から開業するまで
開業するまでは高校卒業して直ぐに柔道整復師(整骨院・接骨院の正式な国家資格名)になる為に○○の専門学校へ入学し、2年間通い無事国家資格を取得しました。
その当時は地元には専門学校が無く柔道整復師の免許を取るためには大阪や東京・仙台その他数校しか専門が無く大変な時代でした。
僕自身は、高校までずっと野球をやっていたので、トレーナーを目指していたのですが、その当時はトレーナーの存在は社会的にそれほど認知されておらず、それでは「飯を食っていけない。」とのことで、外傷の診られる整骨院を目指しました。
専門学校は夜間に行っていたので、日中初めの3ヶ月は中華料理屋さんでバイトしその後○○の、整形外科でリハビリのバイトを1年間行いました。
この頃から患者さんを診させてもらっていたので、臨床経験は今年で37年(年取ったわ。。。(^_^;))当時は接骨院と言えば骨折・脱臼・捻挫・打撲を診るのが当たり前でしたから僕もしっかりと骨折患者が診療できるように頑張りました。
それから元々人見知りが激しく、人とコミュニケーションを取ることが苦手だったので、接客業を学ぼうと思い(本当は遊ぶお金が欲しかったので。。。(^_^;))、○○のスナックで夜の10時から朝の5時頃までバイト。
とても楽しく、裏の世界も知ることが出来勉強になりました。
このお店は○○○○のホステスさんがお客さんを連れて来店されることが多く、女性恐怖症があった自分には絶好の練習場でした。
学校を卒業と同時にバイトも辞め、○○の整骨院へ就職。ミッチリ外傷の勉強とトレーナー活動もしていたのでトレーナーの勉強も出来ました。
この時代の勉強が今の僕を作ってくれました。この先生とは未だにつき合いがあり、その当時の兄弟子ともFacebookで繋がっています。
こちらの整骨院では毎日100人以上の患者さんが来院され、朝の仕事は先ず診療前に洗濯された大量の包帯を巻くことから始まりました。懐かしい時代です!
4~5年務め(その間鍼灸の免許も取得)それから鍼灸の勉強もしたいと考え、○○の整骨鍼灸院へ就職。丁度その時分院を出すタイミングだったので、分院長として3年勤め地元に帰ってきました。
この整骨鍼灸院では鍼灸に通っていた時の同級生が2人勤めていたので凄く楽しかった記憶があります。分院も開業準備から全部お手伝いをしたので、自分が開業する予行演習みたいな感じで凄く勉強になり、上手く軌道に乗せることが出来たので、自信がつき、自分が開業した時は絶対に大丈夫!って思うことが出来ました。
その当時から鍼灸の勉強のため先輩の紹介で東洋医学の勉強会に月一回10年以上通っていました。(開業してからも通っていたので。)
カイロプラクティックの勉強もしたかったのでカイロの学校で1年勉強。
初めの整骨院の所に居た時にはキネシオテープが初めて世に誕生した頃だったので○○○○テープの勉強会と○○先生のカイロプラクティックの勉強会にも参加してました。(実は専門学校時代に○○先生の所へ治療に行き、○○○○テープが出る前のホワイトテープで治療を受けたことがありました。)
その他には○○の先生にアプライドキネシオロジーを学んだり、○○○を学ぶために○○に通ったり・・・(その当時から勉強ばかりしてましたね。。。(^_^;))
平成3年(1991年)5月13日開業
開業する前年12月まで整骨鍼灸院へ勤め、1月から店舗探し僕の母親が占いが大好きで、僕もその影響を受け、研修時代からお世話になっていた、占い師さんに開業する場所等を観てもらっていたのでその先生が「自宅から南東方位で探しなさい!」ということで、実家から南東方位で色々と店舗を探していたところ現在地を見つけました。
まだ工事中の店舗でビルが完成するのが4月末とのことで大家さんと交渉し、店舗の工事をお任せに。その分家賃が高くなりましたが新築の場所で開業できるのは本当にラッキーでした。
開業までは時間があったので引っ越し屋さんでバイトしながら開業準備。
数年前にその引っ越し屋さんで先輩だった人が来院してくれた時はビックリでした!
その当時の宣伝は新聞折り込みとリビングへの広告掲載だった気がします。
初日は10人くらいで9人は友人・知人で1人だけ全く初めての方でその方はその後多くの方を紹介してくれたのを記憶しています。
初めは全く1人で治療と受付を行っていたのですが、親戚の叔父さんが、それでは大変だからと、知り合いのおばさんを紹介してくれて直ぐにその方に来てもらい受付にし、晩からは妹と妹の友達にバイトしてもらってました。
(その当時の写真はポラロイドで撮ったこちらの写真しか残ってませんでした。待合室は丸テーブルで、隣の喫茶店のママさんがもしかしてうちの隣に喫茶店が出来るの?って怯えていました。(笑))
多分開業して3ヶ月くらいで1日30人以上来院されていたと思います。
半年後には1日50人以上だったかな?
途中から友達の知り合いの女子が正社員として入りその後、もう1人女子が入り、5人体制で多い時は1日100人くらいの患者さんを診ていました。
(その当時は保険治療が中心でお昼休みに鍼の実費治療をしていたので、食事をする時間が夕方の3時とか4時とかでした。。。(^_^;))
朝もシャッターが開く前から患者さんが並んでいたりと、本当に【行列が出来る整骨院状態】でした。
その当時はまだ30歳を超えたばかりで元気な時でしたが、本当にクタクタで休みの度に風邪を引き肉体的・精神的にもボロボロでした。
当時は上にも書いたように僕自身が野球をずっとやってきていたので、スポーツ選手の外傷を診たい思いが強かったのですが、多くの患者さんは腰痛や肩こり等の慢性的な疾患。。。
それでも噂を聞きつけて社会人のラグビー選手や硬式野球部の選手そしてプロ野球の○選手等も来院していたのでそれなりにやりがいも感じていましたが、毎日毎日、流れ作業のように行う施術はそれなりに結果は出ていましたが、もっと時間をかけてゆっくりと患者さんの話を聞き、丁寧な診療がしたいという思いが強くなっていました。
その当時は東洋医学の勉強だけで無く、体質医学会の勉強を習いに行っていたのでビワの葉を使った根本的な治療をやりたいという思いが日に日に強まっていました。
あとは東洋医学の関係から気学もしばらく習い、気学や姓名鑑定等もしたいと思っていました。
5年目の決意
そんな思いを強くしていた当時は一応5年で初めの借金が無くなったのを機に、保険診療を止める決意をしました。
本来ならば色々と経営的な事をしっかりと考え、しっかりと自分が求めている理想的な治療を行うぞ!って計画をしっかりと立て行動するのですが、その当時は若かった事と、経営について何もわかっていなかったので、とにかく今のバタバタした流れ作業のような施術から逃げ出したい気持ちでいっぱいだったのだと思います。
店舗内を全面改装し、施術方法も全く変えて施術するようになって、当然今まで保険治療で来院されていた方は来なくなり、それでも1年くらいはなんとか経営的にはギリギリのラインで大丈夫でしたが、1年過ぎてから段々と患者さんも減り経営危機に。。。(>_<)
今思えば当たり前の結果だったと思います。
患者さんのために少しでもより良い施術が出来るように!という思いとは裏腹に、自分がとにかく保険診療でバタバタする状態逃げ出したい一心でしたから患者さんの為にというのは口実で本当に患者さんの事を思っていたら、もっとソフトランディングなやり方で保険診療から自費診療に移行できていたと思います。
もう一つ。
少しでも今までよりも良い治療・施術をすることで治っていく!良くなっていく患者さんが増えるだろうと思っていたのに、【治らない・結果が出ない・難しい患者さん】という壁にぶち当たり、最初の5年とは違った苦しみを味わい、ここからセミナー中毒が始まりました。(苦笑)
研修会依存症の幕開け(苦笑)
先ずは肉体的な治療だけで無く、メンタル面・精神的な問題解決をしないと治らない人が居る事に気づき、東京へNLP(神経言語プログラミング)を習いに行きました。
今でこそNLPを知っている人は多くなりましたが、その当時はほとんど知っている人は少なく、結局習いっぱなしで上手く活用していませんでした。)
その他にも○○のオステオパシーの勉強会で、誇張法・CST(頭蓋仙骨療法)・カウンターストレイン・・・等を学びました。あとレイキもこの時期に学んだと思います。
あとは故 ○○先生の経絡エネルギー循環法も習いに行きましたね。。。
それから今度は友人が、操体法の創始者 橋本先生の高弟の先生が凄い!というので、東京まで月2回日帰りで学びに行っていました。
経営危機という状態にもかかわらず、馬鹿みたいに研修会に行っていたのは、多分現実逃避と、治らない患者さんがたくさんいて、自分自身の治療技術の無さを痛感していたからだと思います。
結局このままでは本当に潰れる~と思い、もう一度保険診療を再開し、保険診療と自費治療を予約外と予約という形で分けて行う形体で落ち着きましたが、一度保険診療を止めたあと、なかなか患者さんの信頼を取り戻すことが出来ず、大変でしたが自費治療の患者さんが信頼してくれて来て下さっていたので、潰れること無く診療を続ける事が出来ました。
そしてまだまだ勉強不足と思い込んでいたので、地元でカイロプラクティックの勉強をもう一度してみたいと思い、その当時○○にある○○クリニックの○○先生が関わったカイロプラクティックの学校があったので、そこに参加するとたまたまアメリカから帰国した○DCの授業があり、その繋がりからまた色々なモノに手を出すようになりました。
確か○○○理論に出逢ったのもこの頃だったような気がします。
東京での整体や○○の療法、○○で○○療法、○○で○○療法(今は名前が違うかな?)、○○○ダイナミクス、○○○に○○○○を習いにも行きましたね。
あとは○○先生の東洋医学講座も地元だったので習ってました。
あと地元で操体法の講習も確かこの時期に受けたと思います。。(^_^;)
それ以外にも心理療法も並行して勉強し、地元でもNLPを学び、EFT、エリクソン催眠、ボディーサイコセラピーそして故○○先生の心理カンファレンスなどにも参加し、様々な整体や心理療法も勉強しまくっていました。。。
ホントに研修会依存症です。
目覚めた?!
40歳になり(開業したのが28歳の時ですから開業して12年目)いつも外に答えを見つけようと思って必死に色々な勉強してもいつまで経っても自信がつかない状況で外に答えは無いことを悟り、【自分自身の在り方が大事】という事にやっと気づき合気道を習い始め3年後から○○太極拳そして5年前から○○○武術を習い始め、先ずは身体造り。
心創りにはボディーサイコセラピーは辛かったですがかなり役立ちました。
あとは宗教関係も勉強したり、「人はなぜ生まれて来るのか?」とか「なんの為に生きるのか?」なども考えましたね。。。というのも治る・治らないというレベルでは無く、癌が全身に転移し亡くなる1ヶ月前くらいまで来院されていた患者さんがいらっしゃって、「死ぬ」という事は何?とか、「死を目前にした人に対して僕は何が出来るのか?」とかを考えていたから、俯瞰した考え方や捉え方をしないと「死ぬ」ということの本質が見えてこないと思ったからだと思います。
多分。。
それからはテクニック(技術)系の勉強会では無く、身体造りや心創りを中心としたセミナーに行きました。(まだまだセミナー中毒ですが(苦笑))
アレクサンダーテクニークやフェルデンクライス、その他色々な勉強会も参加。
発達障害の患者さんが多くなってからは身体○○にも行きましたね。。。
機能神経学と身体調和の考え方で発達障害の施術はかなり自信が持てるようになりました。
もう書き切れません。。。(笑)
今後の決意:2018年
開業してから27年を振り返ると本当に馬鹿みたいに研修会に行ってます。。。実は研修会だけで無く本も大量に買っています。。。
丁度1年前から保険診療も止め、自費(保険外施術のみ)診療のみとなりましたが、やっと自分が理想と思える診療体系になりつつあります。
以前保険診療を止めた時とは違い、保険外の施術もずっとしていたのでその当時のような事は無く何とか経営的には成り立っていますが、僕自身、経営者では無く、職人的な人間なので全く貯金も出来ず(未だに借金まみれ。。。)多くは研修費や本で消えていますが、そろそろ今年55歳になるので老後の蓄えも!と思う年頃になりました。(笑)
しかし、まだまだ勉強は続ける予定です!(^^) 基本は答えは外に無い!という事を理解した上で。そして自分自身の在り方が大事という事も意識して。
何故これほどまでに研修会に行ったり本を買ったりするのか?患者さんの為に勉強し続ける!と言えば聞こえは良いのですが半分本当で半分ウソ!
勉強が好きではあるのですが結局人に負けたくない!と言う負けず嫌いな部分があるのと、もう一つは裏返しですが【自分に自信が無いこと】これが全てです!
治療関係の多くは感覚が非常に大事です!
僕自身非常に感覚が鈍く、繊細な感覚を持っていなかったので本当に苦労してきました。
この繊細な感覚は生まれ持った才能もあるのですが努力で鍛えることもある程度は可能なので、その可能性を信じてずっと感覚を鍛えるトレーニングもやってきましたが、それでも鈍いです。
その鈍さを補う為には知識でカバーしなければいけない!と思い込んで馬鹿みたいに学び続けてきたのだと思います。(多分 家一軒分は買える金額は投資しています。未だに借金だらけだし。。。(^_^;))
そして元々手足が冷えて自律神経失調症と言われる諸症状は全て経験済み。
性格的にも内気で内向的、社交性が無く近所つき合いも上手く出来ません。
だから少しでも自分を変えたくて心理系の勉強会や気功等の勉強もやってきた部分があります。
【患者さんの為と言うよりも自分自身の為に】頑張ってきたことが、自然と患者さんの為になっているのだと思います。
小学校時代から高校までずっと野球をやり続けてきましたが、野球の楽しさを経験しつつも常にセンスの無さを感じていました。勉強もそうでした。
嫌いじゃ無かったけど最後は勉強もセンスだな~と。
自分の性格に対してもコンプレックスを感じ超恥ずかしがり屋で人前で話すことは未だに超苦手です。
それでも内に秘めた【負けたくない!】みたいな根性?闘志?が有ったから、頑張れたのですが全然心の平安が訪れない。。。(>_<)
結局いつまで経っても【自分に自信を持つことが出来ない病】から抜け出せないのですが、そんな自分をしっかりと認め、人と比べないこと。
自分が自分らしく楽しく出来ることをやるだけ!
人それぞれ持って生まれたモノが違うのだから、自分が出来ること・楽しめることに焦点を当て進んでいくことが大事なのだと実感しています。
27歳の時に開業し27年経過し、現在54歳になりました。
もともと僕自身が高校時代に腰を痛め、それが切っ掛けでこの世界に入ったので、誰よりも患者さんの気持ちが良くわかっていると思います。
何処に行っても治らず、結局高校3年生の夏の大会まで間に合わず、悔しい気持ちをしました。
その時に、何が原因なのか?なぜ治らないのか?どうすれば治るのか?その苦悩をしっかりと聞いてくれ、解決してくれる先生は皆無でした。
だから今来院されている患者さんにもしっかりと、考えられる原因、治る為にはどうすれば良いか?治ったら何がしたいか?等々しっかりとお話しを聞き、じっくりと向き合って良くなる方向に一緒に進んでいくように頑張ってきました!
過去を振り返り、患者さんが良くなって本当に良かった!という思い出よりも苦い経験しか頭に残っていません。(これは良いことか?悪いことか?わかりませんが、本当は患者さんが良くなって良かった!という思い出が多ければ、自分に自信を持つことが出来るのでしょうが。)
・過去に乳がんを患っていて、全身の痛みがあったにもかかわらず、施術後は楽になり、東京の孫さんに会いに行く目標を達成する事が出来たのですがその後はドンドン悪くなり亡くなられた患者さん。その当時は癌の転移だと思ってもいませんでした。(内科もずっと行かれていて問題なかったので。)
・ 頭痛が頻繁に起こり施術後楽になったのですが、その2日後くも膜下出血を起こし入院された方(運良く手術で回復された。)
・ 橈骨下端の骨折した患者さんを応急処置して自宅の近くの整形外科を紹介したらその後、変形が残り「何故あそこの病院を紹介したのか?もっと良い病院を紹介してくれたら後遺症を起こさなかったのに!」と叱られた出来事。
・ 酷いぎっくり腰で来院し施術後立ち上がろうとしたら脳貧血を起こし、何度も起き上がろうとしても貧血から起きられず4時間ずっと他の人を診ながらその方とお付き合いし最後は友人に迎えに来てもらって何とか無事に帰られた患者さん。(あとから聞くと朝から食事を全く摂っておらず低血糖等も起こしていたみたい)
・ 首の矯正後、血圧が急に上がり病院へ一緒に付いていった方
・ 癌が全身に転移し緩和病棟へ入りながらも亡くなる1ヶ月前まで来院された方
・ 首が痛いということで来院されその時に鬱とは気づかず1週間後に自殺された方
・ 腰が痛いと言われ来院されたが(1回だけ)その後癌の転移だったという方
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・
ホント、ヤブですね。。。(>_<)
まだまだ色々と苦い経験がありますがパッと思い出した時、この経験だけは忘れず、この経験を活かせるように!と思って頑張ってきました。
27年経つと、初期に来院されていた方も年齢的に良いお歳になられ、亡くなれれた方も沢山いらっしゃいます。
逆にその頃、幼稚園とか小学生で来院していて結婚してからも来院され、その子供さんを診させてもらったり。
今まで来院された多くの方々に支えられてここまでやってこられました。本当に感謝です!
そして馬鹿みたいに研修会に行くことを許してくれた家族・両親にも。
移転もせずに27年間すっと同じ場所でやり続けていても、全くここに当院が在ることを知らなかった!という方もいらっしゃり、本当に隠れ家的存在ですが(看板が小さすぎるのかな?)、この仕事が天職だと思っていますので、まだまだ勉強もし、少しでも自分に自信が持てるようになり、その結果が患者さんの幸せに繋がれば嬉しいです!
コロナが流行って以降~
2020年1月から新型コロナウイルスにより、様々なモノが変化していきました。
当院でもコロナの影響で患者さんが激減。
そしてこれまで月に2~3回行っていた研修会も2020年3月から2023年2月まで全く行っておらず、これまで習い続けていたロシア武術システマとSUP(スタンドアップパドル)で自己研鑽しつつ、日々の臨床でコツコツと自分の身体と心に向き合ってきました。
するとこれまで研修では分からなかった感覚や習ってきたことが逆に良く分かるようになりました。
2023年2月現在僕ももう今年中に60歳になります。
これまでの臨床での様々な経験を書き残しておこうと思いこのブログを始めました。
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